甲府聖書バプテスト教会
Kofu Bible Baptist Church
バプテスト教会とは?
【バプテスト】とは、ギリシャ語で「沈める」を意味する【バプティゾー】と言う言葉からきています。
これは、イエス・キリストが「信じた人々にバプテスマ(沈め)を施しなさい」と命じられたように、キリストを心から信じた者が信仰の表明として受けるものです。
おそらく【洗礼】という言い方のほうがなじみがあるかもしれません。けれどもバプテスマとは、罪を洗い流して清くなるために受けるというイメージの【洗礼】とは意味が違うのです。
自分の罪の身代わりとなってキリストが死んでくださったことを信じた者だけが、バプテスマを受けることができます。古い自分はキリスト共に死に、新しいいのちによみがえったのだと公に表すのがバプテスマ(全浸礼)です。
聖書を調べるなら、水に沈める行為こそ、キリストご自身も受けてくださった方法であり、聖書の中で行われている方法なのです。聖書のみことばに忠実にありたい、という信仰の表明をしているのがバプテスト教会なのです。
私たちの教会は、バイブル・バプテスト・フェロシップというグループに属していますが、それぞれの教会が自主独立しており会衆制をとっています。バイブル・バプテスト・フェロシップは、戦後アメリカのバイブルバプテスト教会の宣教師によって清水、横浜、幕張などに教会がたてられ、現在80以上の教会があります。 → JBBF
バプテスト教会の歴史
日本では、キリスト教と言うとカトリックかプロテスタントを思い浮かべると思います。
しかし、もう一つ、バプテストという流れがあります。
新約聖書の時代から、クリスチャンたちはローマ帝国によって迫害を受け続けてきました。
ところがコンスタンチヌスがキリスト教の力を認め、国の政治に利用することに政策を変えたのです。それだけでなく、政治に利用しようとしてキリスト教の実権を握るために、人々から聖書を奪い、特権階級の者だけが聖書を読むことができるようにしてしまいました。そのため、一般庶民は聖書に何が書いてあるのか正しく知らず、間違った教えを正しいと教えこまれました。幼児洗礼やマリヤ崇拝、免罪符などがその代表です。
これらの誤りに抗議して宗教改革をもたらしたマルチン・ルターは、カトリック教会の修道士でした。一般庶民には読むことのできないラテン語で書かれた聖書を読むことができた彼だからこそ、その誤りに気付くことができたのです。同じころ、聖書に立ち返ろうという動きが他の地域でも出てきました。これがプロテスタントの始まりです。
一方カトリックの時代にも、イエス・キリストの教えを純粋に守り、聖書通りに生きようとした者たちもいました。彼らはどんな迫害にも屈せずに聖書に従うことを選んだのです。そして、[バプテスマは信者に施すもの]と、信仰告白した者だけがバプテスマを受けるという聖書の教えを順守したのです。彼らは、一度幼児洗礼を受けていても、明確な信仰告白に至った者には、もう一度バプテスマを施していきました。そのため彼らはアナ・バプテスト(再浸礼派)と呼ばれるようになりました。
彼らはプロテスタントの時代でも迫害を受けました。ルターをはじめとする宗教改革者たちは残念ながら、幼児洗礼だけはカトリックからそのまま引き継いでしまったためです。
しかし時は流れ、プロテスタント教会の中でも、「全浸礼(バプテスマ)こそ聖書通り」とする流れも現れ、「バプテスト教会」を名乗るところもも多く興ってきました。
新約の時代から聖書のみという信仰を守り続けてきたバプテスト。またプロテスタントから興ってきたバプテスト。いずれも信者のバプテスマ(全浸礼)と、聖書のすべてを神の言葉として信じる信仰に立つものです。
聖書とは?
新約聖書と旧約聖書があり、そのどちらもあわせて1冊の聖書です。
よく、旧教(カトリック)は旧約聖書、新教(プロテスタント)は新約聖書を用いる、と思っている方がいらっしゃいますが、すべての正統的なキリスト教会では両方用います。文語訳、口語訳、新改訳、新共同訳と時代や出版社によっていくつかの日本語訳がありますが、いずれも内容は同じです。
旧約とは、古い約束のことを言い、新約とは新しい約束のことです。
簡単に言うと、旧約聖書は、イエス・キリストがこの世に来られるという約束。新約聖書は、その救い主イエス・キリストが来られた時からの新しい約束が書かれています。
聖書は世界中の言語に翻訳されており、地球の隅々にまでいきわたっている稀有な書物です。永遠のベストセラーとも言われ、今もなお、多くの人々に読まれ、人々の生活の基盤となっています。
この聖書の言葉によって私たちはいかに神に愛されているかを知り、自分の生きる意味を見いだすことができます。
また世界の歴史を見るならば、そこに書かれた預言はすべて成就してきていることが分かります。
聖書とは人間が書いたものではなく、まさしく神が人を用いて記させた、神からの真実の手紙と言えるのです。
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